忍者ブログ
[1] [2]

DATE : 2025/01/07 (Tue)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


DATE : 2009/04/06 (Mon)
草野心平の詩に、カエル語で書かれた詩がある。
カエル語?発想がすごすぎて、ぐうの音も出ないとはこのことか。

トノサマガエルの「ごびらっふ」が語る、幸せとは?
という哲学的問題。
カエル語の語感のなんとも言えない心地よさ。
草野心平ってやっぱりスゴイです。



 ごびらっふの独白

るてえる びる もれとりり がいく。
ぐう であとびん むはありんく るてえる。
けえる さみんだ げらげれんで。
くろおむ てやあら ろん るるむ かみ う りりうむ。
なみかんた りんり。
なみかんたい りんり もろうふ ける げんけ しらすてえる。
けるぱ うりりる うりりる びる るてえる。
きり ろうふ ぷりりん びる けんせりあ。
じゆろうで いろあ ぼらあむ でる あんぶりりよ。
ぷう せりを てる。
りりん てる。
ぼろびいろ てる。
ぐう しありる う ぐらびら とれも でる ぐりせりや ろとうる ける ありたぶりあ。
ぷう かんせりて る りりかんだ う きんきたんげ。
ぐうら しありるだ けんた るてえる とれかんだ。
いい げるせいた。
でるけ ぷりむ かににん りんり。
おりぢぐらん う ぐうて たんたけえる。
びる さりを とうかんてりを。
いい びりやん げるせえた。
ばらあら ばらあ。


 日本語訳

幸福といふものはたわいなくつていいものだ。
おれはいま土のなかの靄のような幸福に包まれてゐる。
地上の夏の大歓喜の。
夜ひる眠らない馬力のはてに暗闇のなかの世界がくる。
みんな孤独で。
みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。
うつらうつらの日をすごすことは幸福である。
この設計は神に通ずるわれわれの。
侏羅紀の先祖がやってくれた。
考へることをしないこと。
素直なこと。
夢をみること。
地上の動物のなかで最も永い歴史をわれわれがもってゐるといふことは平凡ではあるが偉大である。
とおれは思ふ。
悲劇とか痛憤とかそんな道程のことではない。
われわれはただたわいない幸福をこそうれしいとする。
ああ虹が。
おれの孤独に虹がみえる。
おれの単簡な脳の組織は。
言わば即ち天である。
美しい虹だ。
ばらあら ばらあ。


この詩、なんと絵本になってます。
編集者が「声に出して読みたい日本語」の、齋藤孝氏です。
なるほど。


PR

DATE : 2009/04/02 (Thu)
雨も季節によって、その雰囲気が異なります。
春先の雨は、ちょっと騒々しいかもしれません。

時期が違えば、こんな雨が降ったりします。


  雨が降っています

静かな夜
淋しげに雨は降っています。
ぱたぱたと地を叩く音が
こほこほとわたしの咳を誘います。
わたしは吸いかけの煙草を手に
そっと目を閉じます。
頭のてっぺんからすーっと
煙になっていくのを感じます。

ちらちら光る街灯の下で雨が
銀色の針の束となって降りそそぎ
堅く塗り込められた地に
跳ね返されているのが見えます。
軒下にはまっ白な猫がうずくまり
あきらめ顔でこちらを見ています。

艶やかに黒い
まあるい猫の瞳の中にも
雨は降っています。

煙となりわたしでなくなったわたしは
うずくまることもできず
夜と朝の間で漂っています。
 

縦書レイアウト(pdf)


Creative Commons License
雨が降っています by t.ogawa is licensed under a Creative Commons 表示-非営利-改変禁止 2.1 日本 License.

DATE : 2009/03/27 (Fri)
こんな感じかな~、と思ってたりします。

 
あらかじめわかっていた事

わたしは眠っていたのかもしれません。
気がつくとそこは真暗で
遥か高いところにまあるい月があるだけです。
なんだかいつもより月が青いような
いつもの月とは違うような気がします。
満月にしては辺りが暗すぎます。
暗すぎてどれだけ広いのかもわかりません。
本当の闇です。
こほんと咳をしたところ
音が響くように聴こえたので
どうやらわたしは
深い穴の底にいるようなのでした。
あーと声を出してみると
やっぱり声は響きます。
それでは月と見えたものは月などではなく
穴の口の部分だったのです。
そう思って見れば
やはり月ではありません。
誰かが通り過ぎてゆくのか
ときおり影が横切ります。
わたしはその場に座りこみ
助けを求めるわけでもなく
ポケットの中にあった煙草に火を付けます。
カチンとライターの閉まる音が穴の中に響き
わたしは穴の口を見上げ続けます。
わたしがどこに迷い込んだのか
自分でわかっているような気がするのです。

縦書レイアウト(pdf)
Creative Commons License
あらかじめわかっていた事 by t.ogawa is licensed under a Creative Commons 表示-非営利-改変禁止 2.1 日本 License.

DATE : 2009/03/24 (Tue)
コトバによる表現に関心を持ち始めてから、誰もが教科書で読んだことがあるであろう中原中也をイメージして、詩集などを本屋で眺めたことがあった。
その当時以降、買い求めた思潮社の「現代史文庫」のシリーズは今でも本棚に何冊か並んでいる。

その時期と前後して、周囲の人達の影響で「高田渡」の存在を知った。教えてくれた人は、ギターをジャカジャカ、自衛隊へ入ろ~♪ と歌ってくれた。

・・・現代詩と高田渡、知ってる人には当然のように馴染み深い組み合わせ。当時の自分には衝撃的な組み合わせ。そして知ったのは、詩人・山之口獏。
高田渡がその詩を多く取り上げた中でも、タイトルからしてすでにユーモラスな「頭を抱える宇宙人」。

1976年に発表されたアルバム 「FISHIN’ON SUNDAY」に、この曲は収録されている。


頭を抱える宇宙人

青みがかったまるい地球を
眼下にとおく見おろしながら
火星か月にでも住んで
宇宙を生きることになったとしてもだ
いつまで経っても文なしの
胃袋付の宇宙人なのでは
いまに木戸からまた首がのぞいて
米屋なんです と来る筈なのだ
すると女房がまたあらわれて
お米なんだがどうします と来る筈なのだ
するとぼくはまたぼくなので
どうしますもなにも
配給じゃないか と出る筈なのだ
すると女房がまた角を出し
配給じゃないかもなにもあるものか
いつまで経っても意気地なしの
文なしじゃないか と来る筈なのだ
そこでぼくがついまた
かっとなって女房をにらんだとしてもだ
地球の上での繰り返しなので
月の上にいたって
頭をかかえるしかない筈なのだ

山之口獏 詩集「鮪に鰯」 昭和39年発表

鮪に鰯―山之口貘詩集 (1972年)
山之口貘詩文集 (講談社文芸文庫)

FISHIN’ON SUNDAY

DATE : 2009/03/22 (Sun)
表現ってそもそも自由なもの。
だれが何をどう表現しようと、それは表現する人の感覚に沿ったものだから。

表現自体は自由なものだけど、受け手がいると制限が生まれる。
それは仕方がないことで、受け手にもまた自由があって、受け入れる・入れないの選択は受け手にゆだねられる。

「優れた表現」とは、受け手の持ち得ない表現方法で見事に表現して見せた時に、その受け手から相対的に発せられる評価であって、絶対的な評価ではない。そして、評価=価値ではない。

どんなものにでも価値はある。ただ、その価値もまた絶対的なものではない。
その時、その人の都合によって、いくらでも変わってしまう。
そして、表現の価値はその可変性に負うところが大きいというのが、また悩ましい。


 都合
 
わたしの都合
あなたの都合
都合の都合
世の中の都合
都合の眼鏡を通して見れば
どこもかしこも都合だらけ
こちらにとって都合の良いことが
そちらにとっては都合の悪いこと
わたしの都合
学校の都合
会社の都合
国の都合
地球の都合
都合のための都合
都合の悪いものは敵?
都合の良いもの同士の仲間たち?
都合のための都合
都合の都合
都合………?
 
縦書レイアウト(pdf)
Creative Commons License
都合 by t.ogawa is licensed under a Creative Commons 表示-非営利-改変禁止 2.1 日本 License.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
NHK時計
※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません
プロフィール
HN:
No.11
性別:
男性
自己紹介:
文末にある 縦書レイアウト(pdf) をクリックすると、A4ヨコに縦書きした、本来のレイアウトが見られます。この文章の著作権は管理人に帰属します。
最新CM
最新TB
バーコード
ブログ内検索